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 従業員を守り、経営を維持するため 自ら退路を断つ
<出典:週刊BCNvol.1849(掲載号)>

【神田須田町発】(上編)
大学時代を名古屋で過ごした砂長さんは、 家電量販店の栄電社(現エイデン:エディオングループ)の柳橋本店でアルバイトをしていたそうだ。 そこで後に社長となる岡嶋昇一さんなど家電業界の重鎮たちの薫陶を受け、 大学を中退してあこがれのオーディオメーカーのオンキヨーに飛び込む。 「小さなメーカーだったが、ここで自分の爪痕を残したかった」と砂長さんは振り返る。 その後の奮闘ぶりは本文に譲るが、仕事に対する“熱さ”はおそらく当時も今も変わらないのだろう。
(本紙主幹・奥田喜久男)


2020.9.3/東京都千代田区のオーディーエス本社にて


PC事業との出会いがキャリアの大きな転機に

奥田 オンキヨーの経営幹部時代、砂長さんには何回かBCN AWARDにご出席いただいたご縁があります。 現在、オーディーエスの代表取締役社長を務められていますが、まず、ここに至るまでのご自身の歩みについてお話しいただけますか。

砂長 ご存じのとおり、オンキヨーは老舗オーディオメーカーの一角を占めており、私もオーディオに憧れて入社したという経緯があります。 入社以来、営業畑を歩んできましたが、2003年に本社のマルチメディアユニット長になったことが私にとって一つの転機となりました。

奥田 それはどんな転機ですか。

砂長 オンキヨーは、比較的早くパソコン分野に着目したオーディオメーカーで、当時、「WAVIO」というブランドでパソコン用のAVシステムを展開していました。 私はそこに異動するまではオーディオ本体を扱っていたわけですが、ここで初めてPC事業と出会うことになりました。

奥田 老舗のオーディオメーカーとしては、パソコンの周辺機器は新しい事業ということになりますね。

砂長 そうですね。2006年にはViiv準拠PCを自社開発で発売するなど力を入れていたのですが、 最終的にはPCメーカーのソーテックを吸収合併して、ハードの開発はその部門が担う形となりました。 この間、私はソーテックの取締役生産・品質本部長を務めたり、生産拠点である鳥取オンキヨー(現ODSコミュニケーションサービス)の 社長として、コールセンターを立ち上げたりしていました。

奥田 PC事業での砂長さんの活躍ぶりが目に浮かぶようです。

砂長 ところが、オンキヨーのPC部門は2010年12月にオンキヨーデジタルソリューションズとして分社化されるのですが、 その1年半後の2012年6月には、不採算を理由に韓国企業との合弁会社に全株式を売却されてしまいます。

奥田 家電量販店にPCを並べても、儲かる時代ではないと……。

砂長 おっしゃるとおりですね。事業の軸足はあくまでオーディオにあるということもありました。 そして悪いことに、2014年10月に合弁会社の親会社である韓国企業が詐欺事件によって経営破綻してしまうのです (2014年12月に裁判所より破産宣告)。

私は、着任当時は(2013年6月)、オンキヨーからの出向という形で同社の代表取締役社長に就任していたのですが、 いかにして事業を立て直し、従業員の生活を守るかということに奔走することになります。

MBOを実行し名実ともに真の経営者に

奥田 お話を伺っていると、砂長さんの職業人生は、経営幹部になられてからのほうが激しく揺れ動いているようですね。

砂長 そうですね。それで私は、オンキヨーデジタルソリューションズの社長として、 出向の身分のままでは会社の立て直しはできないだろうと考え、就任のおよそ3か月後、スピンアウトしたんです。

奥田 オンキヨーという親会社を離れると……。つまり、退路を断ったわけですね。勇気が要ったでしょう。

砂長 そうですね。従業員の生活を守り、経営を維持していくために、そうすることが必要だと思いました。私以外の従業員は、 言わば韓国企業に売却された元オンキヨー社員でしたから、私にだけ逃げ場があったら、おそらくついてきてもらえないでしょう。

奥田 なるほど。
砂長 この経験は、私の人生観を変えたというか、経営者であることの重みをひしひしと感じさせるものでした。

破綻企業の社長が銀行に行っても相手にしてもらえず一銭も貸してくれませんし、自ら営業に歩いて稼ぐしかない。 給料の支払いにも苦慮する状況でしたが、仲間の助けもあり、遅配したことは一度もありませんでした。 生きた心地がしなかったこともありましたが、その反面、私についてきてくれる従業員には夢を持たせてあげたいと懸命でした。

奥田 懸命な努力の先に、展望を見いだそうとされたと。
砂長 はい。その一方で、オンキヨーデジタルソリューションズは破綻会社の子会社となるわけですから、 その状況から脱するためにMBO(経営陣による買収)による買い戻しを図りました。

奥田 砂長さんが名実ともに経営者になって、会社を再生していこうということですね。

砂長 ただ、MBOが成立するまでに2年間もかかってしまいました。 通常の企業買収とは異なり、破綻会社の場合は交渉相手が裁判所や管財人となるため、買収金額は低くても、手続きがとても煩雑です。

奥田 当時はソウルにおられたのですか。

砂長 いいえ、東京におりましたので、毎月2回のペースで韓国・水原(スウォン)の裁判所に2年間通いました。 やはり私にとって、一番苦しい時期でしたね。

奥田 それでMBOが成立したのは?

砂長 2016年6月です。

奥田 すると、砂長さんがオンキヨーを離れ、合弁会社を買い戻すまでおよそ3年。 その間の苦労が実って、サラリーマン社長からオーナー社長になられたということですね。

砂長 そうですね。今もオンキヨーが14.29%の当社株式を保有していますが、基本的にオーナーとして自分の考えで経営できるようになりました。

だから情報はすべてオープンにし、業績についても、毎月全従業員に対してすべて発表しています。当然のことですが、期末に利益が出れば、その一定部分は社員に還元します。 その代わり、私の方針についても常々お話しし、それを理解した上で仕事に臨んでもらうという形をとっています。

奥田 それが、砂長さんが確立された経営哲学であると。

砂長 韓国での厳しい状況の中で、いろいろなことを共有しながらやっていくことの大切さを感じたため、そんなスタイルになったのだと思います。

奥田 やはり、苦しい時期の経験が今に生きているのですね。

砂長 現在進めているビジネスの内容については、改めてご説明しますが、2018年にはオンキヨーマーケティングを、 2019年にはオンキヨーディベロップメント&マニュファクチャリングとODSコミュニケーションサービスの全株式を、 それぞれオンキヨーから取得し、吸収合併あるいは子会社化を行いました。 これにより、今後の事業展開の体制を整えることができたと考えています。

奥田 いよいよ楽しみな時期に入ってきましたね。(つづく)



BCN AWARDでのひとこま
今から14年前、2006年のBCN AWARDでの受賞風景。 砂長さんが在籍していたオンキヨーは、05年から12年まで8年連続で当時のサラウンドシステム部門を制覇した。 ちなみにこのときのプレゼンターは、砂長さんと縁の深いエイデンの岡嶋昇一社長(当時)だ。





 フレキシブルな動きと発想で ユーザーの要望に応えるソリューションを
<出典:週刊BCNvol.1850(掲載号)>

【神田須田町発】(下編)
営業畑を歩み続けた後、事業再編やM&Aにより経営者としての仕事を託され、 親会社の経営破綻をきっかけにMBOを行い自らオーナー経営者となった砂長さん。 ふつうのサラリーマンがあまり経験することのない濃密で波乱に富んだキャリアだが、 一貫しているのは「メーカーとしてどうあるべきか」を考え続けてきたことだ。 それが窮地からの脱出につながり、新たなビジネスモデルの構築に発展する。 頑迷でなく柔軟に、しかし筋の通った考えを持ち続けることの大切さを再確認した。
(本紙主幹・奥田喜久男)


2020.9.3/東京都千代田区のオーディーエス本社にて


BtoBビジネスへの転換により社業の立て直しに成功

奥田 砂長さんは、いったん海外資本の手に渡り、破綻企業の子会社となったオンキヨーデジタルソリューションズ(現オーディーエス)を買い戻して再生を図られたわけですが、 ビジネスの立て直しということでは、どのような施策をとられたのですか。

砂長 かつてのように、家電量販店にPCを置いてもらうBtoCのビジネスでは立ち行かないため、 同じPC関連でも、BtoBのビジネスモデルに切り替えました。

奥田 BtoBというと、具体的にはどのようなビジネスを展開されたのですか。

砂長 自社開発のタブレットPCを、業務用に使っていただくビジネスです。 たとえば、居酒屋、回転寿司店、ファミリーレストランなどのオーダー端末や、ホテル、家電量販店、 携帯電話ショップなどの従業員が持つ接客用タブレット、それに塾の教室で生徒が使う学習用のタブレットなどを、 カスタマイズしたシステムとともに供給しています。

また、エンターテインメント施設向けの業務用オーディオシステムも提供しています。 業務用オーディオは、2018年に全株式を取得したオンキヨーマーケティングが製造しており、 タブレット端末に加えて、より幅広いサービスの提供が可能になりました。

奥田 タブレットは、自社でつくられているのですか。

砂長 開発・設計は社内で行い、製造のみ中国企業に委託しています。 当社はメーカーという立ち位置にあるため黒子的ですが、システムの構築は、 東芝テックや日本ユニシスといった大手ICT企業の力をお借りして、お客様にトータルなサービスを提供する形をとっています。

奥田 なるほど、砂長さんは「メーカーであること」を大切にされておられるように感じますが、 ご自身の考えるメーカーの定義とかあるべき姿というものはありますか。

砂長 いま展開している事業のように、単にモノをつくって提供するだけでなく、 お客様にソリューションを提供するということが、これからのメーカーが生き残っていく上で大切な要素になると思いますね。 それから当社の場合は、国内メーカーとして、お客様からの信頼を得ることも大事にしています。

奥田 国内メーカーとして、ですか。

砂長 かつて私が社長を務め、ソーテックのPC生産工場だった鳥取オンキヨーは、 ODSコミュニケーションサービスとして当社の100%子会社になっていますが、そうした意味でとても大きな役割を果たしています。

現在、同社のコールセンターは120席あり、サポート業務を一手に引き受けているのです。また、中国で生産されたタブレットはいったん鳥取の同社に着荷し、そこで検査を行った後に出荷されます。そして、出荷後の修理・サポートも鳥取で行われます。 つまり、国内で一連のサービスをすべて提供することが可能であり、それが信頼感につながっているわけです。


他社を巻き込みソリューションを提案するのがメーカーとしての役割

奥田 ところでちょっと答えにくい質問かもしれませんが、 ご出身のオンキヨーをはじめとする老舗オーディオメーカーはみな厳しい経営状況にあります。その点を砂長さんはどうとらえていますか。

砂長 「音にこだわる」といったオーディオメーカーの性(さが)から、なかなか抜け出せないということがあるのだと思います。 もちろん、高い品質を追求することはメーカーにとって重要なことですが、マーケットやユーザーの価値観が変わっているのに、 自らの価値観を変えることを躊躇したことが、現在の状況につながっているように思えます。

奥田 それは、たとえばどんな?

砂長 グーグルやアマゾンなどが展開するAIスピーカーはまさに時流に乗ったヒット製品だと思いますが、 換言すればこれはユーザーの新しい価値観をつかんだものといえるでしょう。 つまり、GAFAには、先ほどお話ししたようなユーザーに対するソリューションの提供ができているということです。

もちろん、オーディオ市場全体のシュリンクやアナログからデジタルへという大きな状況の変化はあるものの、 既存のオーディオメーカーは、そこで舵をうまく切れなかった部分があったのではないでしょうか。

奥田 今後の事業展開は、どのような方向を目指されるのですか。

砂長 私は、自社製品だけでお客様に豊かさや利便性をもたらすことには限界があると思っています。 そのため、他社を巻き込みながら自分たちが主体となって提案することが大きなビジネスにつながると考えており、 LG、BenQ、ViewSonicなど海外の有力メーカー、そしてソフトウェア開発各社と提携した形で、さまざまなソリューションを提供していきます。

奥田 オーディーエスが全体の核となって、ビジネスをつくっていくということですね。

砂長 そして、これまでは飲食業界やエンターテインメント業界向けのサービスが主軸となっていましたが、 この分野を拡充・伸長させるとともに、今回のコロナ禍をも見据え、教育、医療、産業用などに向けた サービスを新たに開発していきたいと思っています。政府の推進するGIGAスクール構想向けサービスや 医療・介護施設向けサービス、高齢者向けサービスなどが主なところですが、 単なるメーカーのエゴで製品開発をするのではなく、世の中のニーズをとらえて、 そこに付加価値をつけていくことが肝要だと考えています。

奥田 海外展開についてはどうですか。

砂長 中国の潜在的なパワーを使い、深センで製造した製品を日本にある当社で品質管理を行い、 メイド・イン・ジャパンとしてグローバルに展開するという構想もあります。

これは、おそらく私たちのようなフレキシブルに動ける中小のメーカーにしかできないことであり、 そうすることが日本の製造業の価値を上げることにつながると信じています。

奥田 日本の製造業の地盤沈下が言われて久しいですが、それは心強いですね。

砂長 私にとってメーカーの新しい形をつくっていくことが、残された人生のテーマだと思っているんです。

奥田 今後の砂長さんの事業展開を楽しみにしております。



奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。